朝焼け3.7

目の届く範囲の、日記みたいな写真を撮っています。

縁の外へ

最後に記念に一枚いい?

友人との別れ際は「またね」と、一枚の写真で締めくくるのがお約束のパターンになっていた。けれど最近は人に会う機会がなくなって、最後に記念の一枚を撮ったのか思い出せない。

 

だいたい、そんな挨拶を交わしていたことも忘れていた。人に全く会っていない。幼稚園の送迎と職場の往復。この生活に慣れてしまって、そもそも会う約束ってどんな風に取り付けるんだっけ?という感じに陥っていた。

 

よくない慣れ方だと感じて何度か友人に会う約束をしたけれど、2回は子どもの体調不良で流れて、2回は警戒度の引き上げで延期ということになった。この頃、妻も同じように約束が流れているので自分だけポンポン約束を取り付けるのも気が引けた。どうせまた会えないのだから、と会う努力を投げ出して過ごしていた。巣ごもり、自宅待機はある意味都合がよかったのかも知れない。

 

人に会わないこの時間を、自分を見つめ直す時間だと思えばいいのかもしれないけど、いい加減見飽きたわ。そんな惚れ惚れ見つめ続けられるようなデザインの顔立ちではないんですよねぇ。

見飽きた顔にあかべぇとやって過ぎゆく日々の中で、きっかけは突然やってきた。他愛のないメッセージのやり取りでいつものようにSNS上での会話は終わるかなぁと思った。だけど、ちょっと勇気を出して「お会いしたいですね」というニュアンスのDMを送った。僕の放ったDMがゴールネットを揺らすことなんてないんだけれど、この日の相手はリバウンド王だった。

「お会いするならいつぐらいがいいですか?」

リバウンドから僕のハートにダンクを決めた。

そして僕はもうお一方にもDMを放つ。僕の放ったDMはゴールネットを揺らすことはないが以下略。やはり相手はリバウンド王だった。一緒に撮りに行きませんか、のメッセージに「ウワー!!行きたいです!」と返事をくれた。

 

「会いたい」って言葉を口に出すのは結構勇気がいる。「好き」なら意味としては「会いたい」よりも上のような気がするけど軽く感じてしまうのは何でだろう。会いたいには『あい』が含まれる分、伝わる何かがあるのかも知れない。やかましいわ。もしもそんなことを言ってくるインターネットおじさんが居たら会う約束はしない方がいい。

そんなわけで、いつもお世話になっている しんちいさんとめじろさんと川越を撮り歩くことになった。

 

 

ネチケット教育を受けた世代なので「インターネットで知り合った見ず知らずのオジサンには会ってはいけない」というのが頭のどこかにこびりついている。あれから20年以上経って、ネットをめぐる環境は様変わりしたと思う。当時は、ネットを介して人と会うことは、どこかやましさみたいなものがあったんだろうな。ネットの恩恵は誰かとの距離を縮めることより、モノとの距離の縮め方に重きを置いていた気がする。だから「ネットで人に会う」は日陰の文化だった時代がある。

 

時代が変わって、ネットは現実の延長線と言えるものになった。

人間関係は隣近所、一族郎党、腐れ縁、仲間内でつながることで豊かになっていった時代がある。今もベースはそこかも知れない。けれど社会の変化とネットの発達、それらを受け入れた人達の中で、人との繋がり方が増えていったんじゃないかな。もちろん今も、当時のネチケットで注意喚起されていた方の目的でネットを使う人というのはいるけれど、用法用量を守れば凝り固まった縁の外へと進んで行ける。今回、しんいちさんと めじろさんと撮り歩きながらそんなことを考えていた。

 

 

自分の好きな写真を、ただただ撮るということが久しぶりでとても楽しい。いつも、日常を撮っているけれど、それとはまた楽しさの種類が別だ。カレーは好きだけど、カレーだけ食べ続けることができるか?残念、僕は同じもの食べ続けられる。でもね、でもですよ、そうなんだけど、やっぱりラーメンも好きなんですよ。

 

 

 

 

 

はじめの一歩を踏み出すことに最大の勇気を要するんだけど、猪木の言葉に嘘はなかった。踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる。

 

実際にお二人と会うことが決まってから、変な話、気持ちが前を向いた。

何か、変えたくて、何か新しいことをしたい。そんな自分のことをちょっといいじゃんと思えた。

 

源さんがその時の僕の心境を唄ってくれています。

それではお聴きください、星野源で『夢の外へ』

 

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後半へ続く。やっと当日のことを書く。