
この前、マライヤ・キャリーは冬の季語でいいんじゃないかと書いた。それでいくと、ゴーヤは夏の季語として市民権を得ていてもおかしくない。
庭の隅にホッタテ小屋がある。ちょうど真南を向いていて夏の日差しをたくさん浴びていた。ここにゴーヤを植えない手はない。最初の肥料くらいで特に世話をしなかったけど、ゴーヤが鈴なりになった。こちらがだいぶ世話になり、おかげでおいしい夏を過ごすことができた。秋が過ぎて今やもう年の瀬です。あれだけ元気だったゴーヤもようやく冬枯れた。片付けるのを忘れていたのは確かだけど、枯れた方がネットから外しやすい。時々、忘れっぽい性格が功を奏す。どちらかというと、怪我の功名だろう。

物置の側面も南を向いていたので、ここにもゴーヤを生やした。

まだ一つだけ、実が残っていた。ゴーヤは熟すとこの写真みたいに黄色くなる。割って開くと中のワタやタネの周りに赤いゼリー状のものに包まれている。その赤いゼリーは「食べ過ぎちゃダメ」とか「毒がある」とか「甘い」とか聞いたことがある。そう言った触れ込みによく似合う赤い色をしている。どうやら食べても問題ないものみたいだけど、検索の中心が書籍だった頃は真偽を確かめるのも手間だったろうな。今だって、検索した情報の真偽を確かめるのはなかなか大変だ。
ゴーヤって確かに今は市民権を得た。沖縄料理やにいけば、ちゃんぷる~を頼みたくなる。あの苦みがビールとくぅ~っと僕の周りの飲兵衛たちは言っている。でも親世代は、食べるようになったのは最近じゃないかなと言っていた。
最近思うのが「最近」という言葉は年をとる度にその範囲が広がる。僕ら世代にとっては『ちゅらさん』が沖縄とゴーヤを連れて来たように思うけど、あの作品を最近と呼ぶには遠く、昔というにはまだ色褪せていない。
そういえば、ゴーヤは本来 秋の季語らしい。最近は夏の季語とみることもあると検索したら出てきた。真偽の程はよく調べないと分からないけど、今年もゴーヤをありがとう。