雨の日を歩く
「あいにくの」という言葉で雨の日を台無しにしてしまうことがある。あいにくなのは、空模様ではなく心模様の方だぞと自分に言い聞かせるようにしている。
さすがにバーベキューや運動会が雨だとそうも言っていられないけど、それ以外なら雨の日も楽しい。子どもたちなんて、雨だから中止という考えがないようで、その思い切りの良さが清々しい。
子どもたちを見ていると全身で雨を楽しんでいて、僕の楽しみ方じゃ生ぬるく思えてくる。今でこそ、雨が降っても子どもたちと一緒になって遊ぶけど、昔は違った。息子が外遊びを始めた頃、雨の中で遊ぼうもんなら濡れるし汚れるし風邪をひいてしまうからと遊ぶのを止めていた。そんな僕の様子を見て、妻に言われたことがある。
あなたが色々なものから子どもを守りたいのもわかる。でもそれが子どもたちが色々な経験をする機会まで奪ってしまっているかも知れないよ、と。
言われてみればその通りで、僕は子どもの世界をずいぶん狭く縮めていたんだと後悔した。なので、それ以来、子どもがやりたいと思えば二つ返事で答えている。いいじゃん、やろう。そう言って子どもたちは長靴、僕はカメラを持って雨の中を歩く日が増えた。
雨だろうが、好きなだけ遊べばいい。大人がすべきなのは、玄関にタオルを用意し、風呂を沸かし、楽しかったねと相槌を打つことだと思う。妻のおかげでようやくそう思えてきた。

曾祖父母が植えたらしい椿。今年も見事に花を付けた。ひ孫が世話をしているとはゆめゆめ思うまい。元気かい、ひぃじーちゃん、ばーちゃん。庭の花を見るとき、少しだけ遠くにいる家族を思う。手を合わせて拝む代わりに花を愛でている。親になった僕のことをどう思っているのかなと想像してみたりする。昭和と令和を比べればだいぶ様変わりしただろうけど、元号を見ると半分しか変わってない。時代が変わろうが和やかにいけばいいってことだ。
ダメかと思っていたレモンの木に小さな芽が出ていた。3年間鉢植えで育ててきたレモン。昨年の秋に実をつけたと思ったた一気に葉を落としてしまった。春が来て地植えにするため鉢から出すと、根がびっしり固まって根詰まりしていた。いつまでも同じ大きさの鉢ではいれない。囲って守るばかりでは大きく強くはなれないのだろう。地植えにすると病害虫にさらされるリスクは上がる。それでもきっと元気に大きくなってくれると思う。病気になったり、虫がついたときに僕がどうにかすればいい。
今年も卒業記念樹のプラムが花をつけた。気づけば数年前から実もつける用になった。見逃していただけど、もっと前から実ができていたのかも知れない。口と手の出し過ぎはよくないけど、少し離れたところで見守ることは続けたい。
左足の靴紐の先っちょが切れているのは、息子が値札を切ってくれた時に一緒に切ってしまったからだ。あの時、息子の目が涙を湛えるよりも早く抱き締めて「ありがとなぁ」と大袈裟に褒めたのを今でも覚えている。子どもとの公園で遊ぶ用の靴として買ったので、子どもの靴と同じように汚れるしビチョ濡れになる。だけど、なかなか引退させることができない。
この日もしっとりどころか、びっしょり。靴の中で濡れた靴下のせいで変な感覚だ。濡れた靴で歩くと足先あたりから、小さな水の泡がプシャっと溢れ出る。靴からあふれた水の分だけ、子どもの気持ちを汲めたような気がした。