蔦が絡まる白い壁。
この写真を見ていたら、ちあきなおみの喝采が頭の中で流れてきました。
他の曲は聞いたことないんですが、喝采が好きでカラオケでも歌ったりします。そうすると「時代が違うぞー」なんてお決まりのヤジが飛んだりするんですけど、時代を超越して今も歌われてるって事は凄いことなんですよね。時代を超越して何か出来るかなと考えてみたんですけだ、そこはやっぱり写真と言うのがかっこいいのかもしれません。
友人のマタニティフォトを撮ってきた。以前は結婚式の前撮りをお願いされる事が多かったけど、家族ごとに暮らしの形が変化しつつあるんだなぁ。
ここの赤ちゃんも先日元気に生まれたという報告を受けて一安心。出産祝いを何にしようか迷っていたけど、2人目って事を踏まえて実用的なところで大量のオムツかお尻拭きにしようと思う。そしてプレゼントの本命はこの写真のプリントを贈ることにした。
これを撮った日に急遽休日出勤になってしまった友人(旦那)と新たに加わったベイビーを次はしっかり撮ってこよう。僕の周りには僕を我が家の専属カメラマンと言ってくれる友人がたくさんいる。その時点で専属ではないんだけど、何か役に立ててる気がして嬉しい。
子どもがいると、部屋はどうしても「子ども仕様」になる。角は丸く、開く場所は閉じ、危険なものは上へ。手の届くところにオムツ、手口拭き、おしり拭き。そして部屋の至るところにオモチャ。
割と部屋の中で撮るのが好きな方なんですけど、こう、なんて言うんでしょう。生活感を全面に押し出すスタイルをわざわざ撮るってのもなぁなんて思っていました。人に見せるには何か申し訳ないかなぁと。そう思うようになると自然と部屋の中でシャッターを切る回数も減っていきました。
けれど、最近気付いたことがあるんです。今、僕たち家族は引っ越しを考えていてこの部屋で暮らすのは あと半年もないんです。このまま撮らずにいたら息子が大きくなった時、生まれて初めて住んだ場所を見返す手段はないんだという事に気付きました。正直いうと、スマホで撮った写真や動画はあるのでこの部屋を見返す事ができなくなるって言うのは言い過ぎかもしれないけど、父親が趣味で写真撮っているんだから、そこは気合い入れて写真撮るのが父親としての使命だよなぁと勝手に思ってます。
Ektarの微粒子感が好きです。陰影の部分に表れるビロードのような艶っぽい質感を見るとプリントならまだしも、モニター越しでも触りたくなります。秋の夕暮れなんて、エクターにぴったりだ。
友人が音楽活動を再開すると嬉しそうに言っていた。音楽活動と言ってもそれで食べてるわけではないけれど、彼女にとって音楽は趣味より更に大きな範囲のものなんだろうなぁ。
FM2で撮ったフィルムが戻ってきました。中身は春から夏にかけての記録。その中から地元の町で少しだけぶらついたときの写真です。
僕が子供の頃、向かって左の建物は確かデパートだったはず。このデパートの一階にはハーゲンダッツの直営店が入っていて、買い物帰りは家族みんなでアイスを食べた。あの時間はとても特別な時間だったんだなぁと大人になって思います。買い物帰りに何か甘いものを食べる。凄く気分がいい。この伝統はしっかりと引き継いで夫婦で実践している。
デパートの上の階には常設の映画館が入っていて、そこで最後に見た映画は もののけ姫だ。ばーちゃんと、弟と見たんだ。写真を見ていたら一気に思い出が湧き出てきた。めちゃくちゃ懐かしい。そういえば、映画に行くと必ずパンフレットを買っていた事を今 思い出しました。まだ実家にあるのかな。
デパートとだった建物は現在 美術館になっている。ハーゲンダッツだったであろう場所にはカフェが入ってます。内部はデパートだった時の構造を活かした作りになってます。リノベーションと言っていいんでしょうか。
街と記憶は今も生きている。そんな事を感じた秋の昼下がり。