日々の機微
畑仕事のおかげで朝まで熟睡できた。布団から這い出ると山の朝を体感できる温度。早足で居間の薪ストーブのところまでいった。朝飯を食べて支度を済ませると皆で庭に出た。昨日とってきた野菜の面倒をみるそうだ。
先日、妻の実家へ遊びに行った。やってることと言えば、畑仕事なのでこっちにいるときとそう変わらないけど、やっぱり量と質が格段に違って勉強になった。
七輪に旬があるなら、火の温かさをありがたく思えるこれからの時期なんじゃないか。そういうわけで庭で七輪をやった。
目を覚ますと、もう妻は起きているみたいだった。居間に行ってみると姿がない。畑にでも野菜を採りにいったのかなぁと考えながらカーテンを開けると、庭でラジオ体操第一がはじまっていた。
前橋ブックフェスに行ってきた。
朝起きて窓をあけると風と一緒に金木犀の香りが部屋に入ってきた。
金曜に有給を取った。金曜に休むってことは四連休になるということだ。最近仕事でちょっと疲れてたし、職場の皆も「休んじゃいなよ」と言ってくれたのでお言葉に甘えて四連休をいただいた。
息子と朝の散歩へ。実際はペダルを漕いでいたけれど、散歩気分だったのは間違いない。太陽の位置は目線の少し上。影が伸びて、日の光から黄色や橙色を感じる時間帯は光がきれいだ。
季節が移り変わる瞬間はいつも置いてけぼりを食らったような感覚になる。特に夏の終わりはそれが色濃く出ている。
終業時間の少し前に、PCの電源を切って机の上を片付けた。残り2、3分は時計の進みが随分遅く感じる。秒針と文字盤の数字がカチっと重なった瞬間、バッと立ち上がって、ダッと駆け出した。妻と子どもたちが先発で帰っている義実家へ向かう。
卒業記念樹、何を植えたか覚えている人はどれくらいいるんだろう。
命を支える形を形をしているだろ? 松葉杖は言われてみれば松の葉の形に似ている。
貰い物のドーナツをお土産に持って帰ったら娘が感動しながら食べていた。「ドーナツおいしいね」と目を輝かせながら何度も美味しさを伝えてくれる。
晴天、薄い雲が時折ながれていく。田んぼの上にいると風が吹き抜けていくので土の上にいるよりも涼しく感じる。田植えをするにはもうちょっと曇ってた方が楽かもしれないけれど、田植えをしながら写真を撮るにはもってこいの1日だった。
日が暮れると、小さい頃に感じた夏の夕暮れの気配があった。僕が実際に過ごしてきた夏なのか、それとも世間の人が抱く古き良き「あの夏」なのか分からない。
息子が空手道場にお試しで通いはじめた。
ちょっとスキップしてみようかな。僕は軽やかに跳ねたけど着地で足をヒネった。
花見というほどじっくり桜をみたわけではないけれど、家族で春を感じることができた。
満開の桜が咲く日に息子の入学式を迎えることができた。
毎朝、田んぼの脇道に車を停めている謎のおじさんがいる。
窓の外を猫が横切った。ふいに「あ、ネコだ」と言った瞬間、子どもたちが目の色を変えて外に飛び出した。
図書館で妻が本を借りてきてくれる。きっかけは幼稚園の帰りに妻と子どもたちで図書館に寄ったとき、僕の分だけ本がないのは悪いと思ってらしく、妻の独断と偏見で一冊借りてきてくれた。 選書の基準は、「なんか好きそうかも」というザックリしたもの。ただ…
雪が積もった日の話。
今年のバレンタインデイは有給を取った。妻は仕事、子どもたちは幼稚園。何もない、普通の2月14日。
群馬県民の"いちご"の発音は一番先の"い"にアクセントがくる。そんなわけで、ちょっとそこまで"いちご"を買いに行ってきた。
今年も餅をつきに、曾祖父母が暮らした古い家へ。
年末に向けて仕事が、世間が色んなシワを寄せはじめている。そんなもの寄せられてたまるか、アンチエイジングだ。
今朝、息子と一緒に裏の蜜柑を取りに行った。青蜜柑だったのが気づけば色づいている。けっこう摘果したつもりだったけど、こうして見るとまだまだ多かったのかも知れない。
息子が卓上カレンダーを見ながら、あと何回登園すれば休みになるのか指さしながら慎重に数える。これが我が家の月曜朝の風景になっている。大人も子どもも、週初めの憂鬱は一緒だ。 カレンダーを数える指が随分ひくい所を指している。数字よりもカレンダーの…
アニメや特撮の再放送は夏の季語だったように思える。