あかりを見るとほっとする。家の灯りに限らず街灯や家路に連なる車のライトの列も気持ちを落ち着かせる。今日のように風が冷たい日は、特に、家の中のあたたかさを連想させるんじゃないだろうか。車から降りて外灯を見上げると、運転でこわばっていた気持がほぐれる。ただの電気で機能してる機械的なものなのに、それが発する光が心に作用するというのが面白い。
昔はきっと電気じゃなくて炎のあかりだったわけだ。生活の中で炎を見て気持ちを落ち着かせたり、ほっとひと息つくことがあったんだろか。
もしそうだとしたら、僕らが電気の灯りを見て心が動くのは、炎の時代のDNAがどこかに残っているからと言えなくもない。悪いものを遠ざけ、気持が安らぐ場所を作るためのものだったんだ。
今日は玄関の化粧柱についている外灯の電球交換をした。電球が切れてからの一週間はなんだか調子が出なかったなぁ。これが家の中の電球ならすぐに買いに走ったのだろうけど、外灯なので 点灯していなくたって生活ができてしまうわけだ。
ただ、やっぱり家に帰ってきたとき灯りがついていないと調子が出ないよなぁ。それじゃマズイとホームセンターで買いそろえ、今夜、一週間ぶりの外灯がついた。手をかざしたら掌に熱じるような温かな光に照らされた。この感覚が炎を灯していた時代の記憶かも知れない、なんて考えるとロマンがあっていいじゃない。