朝焼け3.7

目の届く範囲の、日記みたいな写真を撮っています。

いちごのエ

群馬県民の"いちご"の発音は一番先の"い"にアクセントがくる。そんなわけで、ちょっとそこまで"いちご"を買いに行ってきた。

義実家に帰省中、近くのいちご農家さんの所へ買い物に出かけた。立ち話も何だか入っとくれってな感じで土間に招いてもらった。お義母さんと農家のおばちゃんは良く知る間柄だそうで、世間話に花が咲く。家の外と中、立ち話に変わりはないけど、気持ちの面でもだいぶ違う。そんなことを思いながら僕は相槌を送り続ける。

 

いちごのおばちゃんは、味見を用意してくれていた。一粒が大きくズシっと重みがあった。いちごの表現としてはどうかなぁと思うけど、ほんとにデカくて重みがあった。その見た目とは裏腹に、香りと甘味、そんでもって瑞々しい。いい意味でのギャップってのはいいよ。

 

味見を食べた息子も思わずボーノってやっていた。なぜイタリアンなリアクションなのか。可能性としては、僕の父はセリエAが大好きなサッカー狂なので、そのイタリア愛が隔世遺伝したのかも知れない。

いちごを堪能していると、「この人、いちごも上手だけど絵も上手なの」とおばちゃんのさらなる魅力を紹介される。おばちゃん曰く、30年描き続けているとのこと。面倒で大変だけど楽しくてしょうがないらしい。こういうとき、話を聞くだけで「撮らせていただけませんか」と聞くことはないんだけど、この日はなぜか撮っておかないと後悔するかもと思った。ちょっと勇気を出して聞いてみた。

 

「アタシはダメだけど絵はバンバン撮ってちょうだい」とお許しをいただいた。

いい写真撮りの人たちは、ここら辺のコミュニケーションが素敵な人が多いと思う。「いいですね、撮ってもいいですか?」に至るまでのコミュニケーションが自然というか嫌味がないというか。当然、失礼なことはしない。とても素敵だから、撮ってみたいんだという気持ちが押し付けがましくなく相手に伝わるのだと思う。尊敬なくして写真なしって感じなのかも知れない。

 

 

逆を言えば、「なんで撮るんだろう」と感じさせているうちはまだまだなのかも知れない。

僕の「撮っていいですか」はぎこちなかったかも知れないけれど、おばちゃんの絵と、絵と向き合ってるおばちゃんに興味が出たので、その気持ちをそのまま伝えてみた。撮っていいか確認するのは5秒くらいなものだけど、けっこう勇気がいることなんだと改めて感じた。でも、その一歩踏み出すと、いい感じの広がりがある。間違った一歩だと道を踏み外すから、正しい道を正しい歩幅で撮っていきたもんですね。

 

 

いちごを買いに行く前、5分かそこらの買い物だし、いちご狩りではないからカメラは持たずに車に乗った。でも、やっぱり念のため持っていた方がいいかもと思いカメラを取りに戻った。再び車に乗り込むと、お義母さんが「いいね、カメラがあるといいかもね」と言っていたんだけど、お義母さんには絵描きと写真撮りのやり取りが見えていたんだろうなぁ。一期一会って結構いろんな所に転がっている。