朝焼け3.7

目の届く範囲の、日記みたいな写真を撮っています。

手前味噌

「手前味噌ですが…」ザ・日本語って感じの慣用句。この表現の最高の言い回しとしては「手前味噌ですが手前味噌です」がブッチギリでナンバーワンだと思う。そういうわけで味噌を作ってきた日の日記。

餅つきと同様 味噌つくりも恒例行事になってきた。原料の大豆はお義母さんが趣味で育てたもの。僕はそこまでやれないので味噌づくりの上辺のいいとこをすくいとっています。味噌づくり界隈で言えば、僕は超ライトな新人で、お義母さんや近所のおばちゃんたちは沼の住人かも知れない。でも、両者とも味噌作ってるんだ。趣味だから、好きなことだからワザワザやるわけであって、それに他人が口出しするもんじゃないよなぁと思う、公序良俗に反しなければ。「手前味噌ですが」とか言って、好きなことをやった方が楽しい。

この釜(?)もご近所だか地域の人が手作りしたものらしい。手前味噌ですが、釜作ったんだと言われたらちょっとビックリする。そもそも手づくりできるものなんだろうか。僕の頭が捻り出した釜作りのイメージは たたら場でアシタカが女衆と フイゴで作業してる映像。ああいうパワーが必要だよな。
冷静になると、あれは製鉄であって鉄製のモノづくりじゃなかった。

あらかじめ水につけておいた大豆をぐつぐつと煮る。大鍋から立ち昇る湯気は、それがまだ材料の段階であっても僕の食欲を刺激する。食べ物以上に湯気にやられている気もする。

 

 

こうして見ると、モンブランも味噌も紙一重だ。栗か大豆か、都会か集落か。

 

煮て、挽いて、こねて、最後にバケツに「このやろめ!」とおばちゃん達が投げつける。空気を抜くために思いッキリ投げつけた方がいいみたいだ。「こういうのは日頃の恨みとかストレスのはけ口にするのがいいんだよ」とおばちゃんが妻に教えながら、みんなで男衆を見やる。バッチコーイ。
電気は点けっぱなしにしない。納豆の辛子の小袋は使わなかったら冷蔵庫に入れる。
最近のやらかしは、「風呂の栓をせずに湯船をためる」です。お湯も家計もたまったもんじゃないね。

 

温度と食感、その場にいなければ分からない感覚。写真の良さであり、僕が伝えたいと思うもの。

 

写った人と写した僕の眼差し。写真の好きなところであり、僕が残したいと思うもの。

 

手前味噌ですが、僕の写真のすべてです。