朝焼け3.7

目の届く範囲の、日記みたいな写真を撮っています。

はじめの一歩

満開の桜が咲く日に息子の入学式を迎えることができた。

 

卒園からのひと月弱、息子は入学前の不安でいっぱいのようだった。見た目と変なところが僕に似てしまったなぁと申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 

息子の目に映る新しい場所。30年前、僕も同じ景色を見ていた。

 

「ジィジもオトもこの学校に通ってたんだよ」みんなも知ってる場所だから大丈夫だよ、という意味で声を掛けたけど、「うん」と一言だけ。

父も僕に同じように声をかけたかも知れない。その時どんな反応だったのか、覚えていなくても何となくわかる。

 

妻の手を強く握り教室を目指す。

 

何人か地域の育成会で見知った顔や同じ幼稚園の子を見つけやっと笑顔が見れた。なんとなく、なんとかなるような気がしてきたのかも知れない。なんとなくでいい。僕も仕事はなんとなく、なんとかなるかもって思いながらやってる。「気の持ちよう」というのは大切だ。

予定より少し長引いた入学式に疲れたのか、この日は夕食を食べて目を離した隙に眠っていた。

 

4月9日、雨降り。なにも初登校の日に降らないでもいいのにと思ったけれど、これはこれで思い出深い日になりそうだ。

学校までちゃんとたどり着けるだろうか、友だちと何か話はできてるのだろうか、給食はおいしく食べられたのか、仕事中の僕の頭の中はそんなことばっかり考えてた。普段はそこまで深刻に悩むほうじゃないけれど、ここ最近の息子の不安そうな表情を思うとなんだか気持ちがざわついてしょうがなかった。

 

今日は定時で帰って、息子から何か話をしてきたらウンウンとたくさん聴こう。そんな意気込みで帰路についた。

 

土手の桜が満開だった。撮るのが目的というより、ちょっと願掛けというか気分転換に桜を見た。きっといい一日になったはずだ。

 

ただいま、と家に入ると部屋の奥から息子が笑顔いっぱいで駆けてきた。思わず抱きしめて頭をワシワシやった。どうだった?と聞くと「楽しかった」と一言だけ。その一言で僕には十分だった。まだ始まりの日だけど、いいスタートが切れたなら素晴らしいことだと思う。息子が自分の足で一歩踏み出した日のことを、この先も忘れることはないと思う。

いつものように息子と一緒に布団に入ると、数秒で寝息が聞こえはじめた。外は大荒れで風の音が聞こえる。子ども向けの絵本に、「外は嵐だけれど家の中は安心」というような描写というか表現というかがよくある気がする。おうちは安全。小さい頃からその感覚は備わっている気がする。家、家族は常に安心な存在でいたい。社会は優しい人も多い。だからこそその逆の事柄、人、モノが悪目立ちする。社会でそうしたものに触れてしまった時、安心・安楽を家族に与えられるように温かい家庭を維持するのが僕たちの使命なのかも、とぼんやりと考えた。