丸に立ち沢瀉。これが我が家の家紋だ。沢瀉は「オモダカ」と読む水草のことらしい。随分と難読じゃないか。読めないわ。
家紋の名前と同様に、この着物が作られた当初、30年後の未来を読むことも難しかったはずだ。
令和4年11月、30年ぶりに立ち沢瀉が晴れ舞台に立った。じぃちゃんとばぁちゃんが僕の七五三の為に作ってくれた着物を息子が着る。
着物はあるけれど、さて着付けはどうしよう。お詣り予定の神社に伺ったが、特に提携している着物屋さんはいないらしい。地元の友人にどこかやってくれるお店や おらが街の着付名人はいないか聞いてみるとめちゃめちゃ近所の美容室で着付けをしてくれることがわかった。
そんなわけで、上州のおかあさんて感じの女将さんが切り盛りする地元の美容室で着付けとセットをしてもらうことにした。
女将さんがかわいいなぁと何回もつぶやいていて、息子も満更でもなさそうだった。昔は七五三の着付けと言えば一日に十数件なんてのが当たり前だったそうだ。最近は子どもの数が減ったし、写真スタジオで着付けをするケースも多いようで、地元の美容室で着付けをする子どもはだいぶ少なくなったと言っていた。
そういう背景があるからか、女将さんも熱が入る。「ボク、カッコよくなるからおばちゃんに任せときなぁ」と何度も息子に語りかけながら、迷いなく腕を動かす。
息子に取って得体の知れないものを髪に巻かれたり、長い間じっとしているのは退屈だったはずだ。だけれども徐々にカッコよく仕上がっていくにつれご機嫌になってきた。自分が息子くらいの年齢のときはこんなにしっかりしていただろうか。カッコいいとおだてられたとしても、その意味さえ分かっていなかったかも知れない。なんとなく、最近の子どもって、当時の僕らよりも人ができてるなぁなんて感じることが多い。
ヘアセットを終えるといよいよ着付けだ。こちらも女将さんの手捌きに見入ってしまった。熟練された手技は人を惹きつける力がある。
息子の着付けが仕上がるに連れ、祖父母と過ごした日のことをぼんやりと思い返す自分がいた。僕は初孫だったからずいぶん可愛がってもらった。子供の僕が可愛がられてるな、と感じるくらい、本当に可愛がってくれた。じぃちゃんとばあちゃんからもらった有形無形のものを、恩返ししなくては、と考えられるようになって間もなく二人は亡くなってしまった。今なら、少しはじぃちゃんとばぁちゃんの気持ちが分かる。子どもは可愛い、孫となれば尚更だってのもうちの両親を見ていればつたわってくる。息子の晴れ姿を通して祖父母の愛に触れた気がした。
晴れ着に袖を通した息子の後ろ姿に釘付けになる。女将さんに「お父さん、どうだい僕ちゃんは」と聞かれ僕の口をついて出たのは「かっこいい、大きくなったね」の一言だった。たぶん感動していたのだと思う。何の身構えもなく、急に息子の成長を感じて心が動いた。
写真はまだ撮れるからそろそろ座りなよ、なんてことを息子に言われた。いっちょ前な台詞をはくようになった。生意気だけどカワイイこの感じは5歳児ならではだと思う。
息子の横顔を見ると可愛さの中にたくましさや強さを感じることが増えてきた。確実に僕ちゃんから少年に心身ともに成長している。
こういう技はどこで修行してくるんだろう。すごい効き目だ。娘に嫌われたくない。
そういえば先代の体操のお兄さん よしお兄さんも娘に嫌われたくないと言うような事をテレビで言っていた。あのよしお兄さんでさえ!娘に嫌われたくないという思いは、父親共通の願いなのかも知れない。
うちの両親の目には30年前の七五三の光景がダブって見えていたかも知れない。5歳の僕を見ているようで、ちょっと面映ゆかった。
息子の七五三を通して、やっとじぃちゃんとばぁちゃんに恩返しができたような気がした。この着物をひ孫が着ている。それだけで幸せだなぁと思った。二人はこの未来を想像したことがあるのだろうか。今、父親として子どもの将来を考えることですら途方もないと感じる。ひ孫の代のことなんて幾星霜って感じで中島みゆきの時代が聞こえてきそうだ。
ただ、ひ孫のことを思う気持ちはわかる。きっとじいちゃんばぁちゃんも、うちの息子が生きる時代のことを想像したことがあるはずだ。それは、僕が二人の孫だからわかる。二人はこの未来がやってくることを読んでいたんじゃないかな。