妻の実家では、薪ストーブの前が僕の定位置になっている。「ほんとにその前が好きだいなぁ」とお父さんによく言われるけど、本当に好きなんだなぁ。正月はついた餅を写真のようにストーブの上で焼くんだけど、それがまた最高なんだ。
お父さん、熱くないんすか?と言ったら
「あっちぃー」と叫びながら全部素手でひっくり返していたのは漢だなぁと思った。
今年ももうすぐ終わりますね。
この1年は引越しと息子の保育園入園&妻の就職と、とても目まぐるしく過ぎていきました。濃い時間だったけれど、あっという間ではなかったなぁ。年の瀬になって、ようやく今の暮しのペースがつかめてきた来たような気がします。
新しく何かをはじめたい気持ちと、やっと落ち着いてきたこのペースを維持したい気持ちとの間で行ったり来たりしています。
そんな時、息子が夢中になってるAmazonオリジナルアニメのスティンキーとダーティーの台詞でグッとくるものがありました。
「出来ないっていうのと、やったことないっていうのは違うよね」
無謀なことはしようも思わないけれど、やらない理由を探しているような時はこの台詞を思い出して取り組んでみようと思います。
最後に、今年もこのブログを見に来て頂きありがとうございました。来年もひとつよろしくお願いします。
息子の動くスピードが以前にも増して早くなって来たんだけど、ブロニカで頑張ってます。そんな息子も寝起きはスロウ。昼寝のあとはシャッターチャンス。
息子が着ているTシャツとハーフパンツは、30余年前に僕が着ていた服だ。両親は僕や弟が着ていた服は全て人に譲ってしまったものと思っていたらしく、息子が生まれた時に、孫の事を考えて譲らなければ良かったと少し後悔したらしい。それがたまたま母の実家の物置を整理していたら密閉された衣装ケースの中から数着の子ども服が出てきた。物置の奥の奥に、一度も開けられずにいた事が功を奏してカビや虫食いもないきれいな状態で残ったんだと思う。
偶然残った僕の子ども服。僕は息子がこの服を着れなくなっても人に譲らず物置の奥の奥の奥にしまいこんで、もし孫が生まれたらその子に袖を通してもらいたいと思う。お嫁さんに嫌がられちゃうかなぁ、でも未来のじじーは孫がこの服を着た姿を見たいのじゃった。
妻の実家で見つけた謎の飾り。玉ねぎを吊るすのはうちの近所でも見たことあるんだけど、フライ返しとセットになってるものはなかなかお目にかかれない。
そして狙ったかのような蔦。こういうものを見つけると撮らずにはいられない。
最近よくこのポーズをするなぁと思っていたんだけど、どうやらこれはカメラを構えているポーズらしい。写真を撮ることが彼の生活の中にもちゃんと存在しているんだなぁ。なんだか嬉しい。
大きくなったらきっと映るのが嫌な時期があると思うんだけど、それまでは撮らせて欲しいなぁという親のエゴ。彼のお友達よりきっと写真は多いはずだ。それがいいか悪いかは別として、将来幼少期の写真が必要になったとき選べる写真の幅が広がるよ。
僕自身、両親が撮ってくれた家族写真の大切さと優しさに気づいたのは自分が結婚したタイミングだった。両親が何を意図して撮ったのかは分からないし、シンプルに家族写真を残そうって気持ちだけだったかもしれない。でも、残そうと思って、現実に残っている素晴らしさを今になって感じている。
写真は目の前の光景を撮ると同時に撮影者の眼差しでもあると思う。そう気づいてから見返す家族写真は何よりも優しいと思う。そして子供に対して優しくありたい。
実家がプリンタを新調した。どんなものかと試しに写真をプリントしてみたら、これはなかなかいいじゃない。家庭用の、しかも上位機種でもないプリンターなんて、と馬鹿にしていたけど、僕の方がおバカでした。これから月末にその月に撮ったお気に入りを数枚プリントすることにしよう。
プリントも奥が深いと言うけど、はじめの一歩を踏み出すことが大事だと思うんだなぁ。
未だ自家現像の足踏みは続く。