野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使いけり。
今年の夏休みは竹取物語の冒頭のようなスタートだった。
平安の世では自由に出入りできる野山が結構あったんだろうけど、令和ではだいぶ限られる。自由に駆け回れる野山があるなんていいことだよ。父や義父さん、じいちゃんばあちゃんたちが農業・林業をやってきてくれたお陰だ。
山や田んぼで遊んでいる息子ごしに、曾祖父母やそのまた先のご先祖さまたちについ思いを馳せがちだ。お盆ってこともあるんだろうけど。というか、これがお盆のもってる機能かも。お盆にしてやられてるな。
切るんじゃなくて挽くんだよ、と教えられ最初は意味が分からないようだったけれど、徐々に理解したようでキレイに割ることができた。どんどん道具の使い方がうまくなっていく息子。機械いじりとかに興味が出てくるかも知れないなぁ。
目当ての竹が取れたのでお義父さんの工場へ場所を移す。工場はいいなぁ。心が躍る。自分には縁のないものだからなのか、それとも「男の子ってこういうのが好きなんでしょ?」というDNA的なものが騒ぐのか、とにかく工場・工房・仕事場というものは心が躍る。
工場ではお義兄ちゃんがいそいそと作業をしていた。どうやら神社の柱になる予定の木材を加工していたらしい。
道具が点在しているんだけど、秩序があっていい。この辺りの整頓が僕にはできない。
大人が全身全霊を以って遊ぶっていう光景が、息子の目の前に広がっている。恰好いい大人ってこんな感じだよな。こうも楽しそうにやられちゃぁたまらない。
「お義父さんいい顔して仕事するんですね」と言ったら「人のこと言えないぜぇ、そっちだって」と言ってカメラを構えるポーズをしておどけていた。妻とお義母さんには「お父さんの言う事は話半分に聞くんだよ」言われるので、僕はまだ半人前なのかも知れない。
楽しくでっかくなってくれ。
工作も終わったし、義兄ちゃんも仕事がひと段落ってことでみんなで家に帰る。ちょうど妻から電話があった。もう昼の準備ができたらしい。
「メシの時間だぁ~」というお義父さんの声を聞いたからか、急に腹が減ってきた。そういえばおやつも食べずに朝からずっと遊んでいた。息子も僕も、きっとお義父さんも楽しかったんだろうな。時計なんか見ていなかった。
いつも食べ物は撮る前に食べちゃうけれど、食べる前に撮る。胃腸薬のコピーのように頭の中で繰り返す。
今回、息子とお義父さんが作ったのは 流し素麺の台。気づけば夏の定番になっている。
不思議なもんで、いくらでも食えてしまう。流し素麺は美味しいと楽しいを一緒に味わえる食事だと思う。
汁椀とコップも今朝とってきた竹で作った。よろづのことに使いけりだ。平安時代の人にも、令和のくせになかなかやるじゃんって言ってもらえそうだ。