朝焼け3.7

目の届く範囲の、日記みたいな写真を撮っています。

朝を撮りに行く

一年の計は元旦にあり。見事に寝坊していつもの場所に着いたら太陽が少し顔を出していた。新年早々遅刻なんて、おめでたい。

 

「太陽のような人」という例えがある。そういう人は遅刻した相手に「僕も今来たところだよ」と言ってくれるかも知れない。来年は遅刻しないようにしよう。

朝日を眺めている時は気持ちが少し上を向き、高望みと思えることだって幾らか叶えられるかもという気になる。

 

好きな光は何かと聞かれたら、この場所で見る朝日と答えるかも知れない。それくらいこの場所から見る朝日が好きだ。隣で一緒に日の出を見てくれる人がいれば尚いい。

朝日に照らされる子どもたちの姿と、空の色の変化を交互に、ゆっくり見比べる。

暗い所から徐々に光に照らされて輪郭が浮かびあがる。日が昇りきった時の光とはやっぱり違う。寒いけど、日が当たっている部分には確かに太陽の熱を感じる。

窓に明かりがついている家や、どこかに走り出す車。寒さを楽しむ犬とそれに引っ張られるおっちゃん、街全体がゆっくり動きだすような感覚が好きで、ぼーっと辺りの景色を眺める。

 

ピントは外れた、でも僕の好きなものが確実に写った一枚。何年か経ったとしてもこの写真を見れば妻や子どもたちのにぎやかな声を思い出せる。思い出せなくてもきっと都合よく声や気温に思い馳せることができる写真だと思う。

写真を撮るようになって、撮る意欲が減退したことはあまりないけれど、何か好きなように撮れないときは、早起きして朝の風景を撮っていたことが多い。朝という時間は日常に違いはないけれど、どこかいつもと違う視点が楽しめる気がする。

空気も澄んでいる気がするし、色んな人が朝の光がいいと言っている。そして何より気分がいい。

朝の写真はいい。もっというと冬の朝焼けの写真が好き。朝焼けを見るにはほんの少しだけ覚悟を決めないといけない。温かい布団と決別し、眠い目をこじ開け、着替えるだけでも寒いのに防寒して外に出ていく。ここまでくれば、あとは朝の光に感動して心のままに撮ればいい。それだけで三文以上の徳を積んでいる。

 

 

 

子どもたちも楽しかったようで、なかなか帰ろうとしない。気分が盛り上がってどんどん進んでいった。この時、妻も僕も疲れ切った子どもたちをからっ風が吹きすさぶ中、おんぶして帰ることになるとは思いもしなかったというのは嘘で、これは帰りがキツイぞ、と妻と話した。これもまた楽しいっちゃ楽しい。

 

今日に手を振る。夕方に合いそうな言い回しだけど、朝だっていいんじゃないか。自分たちの影に向かって「おはよー」と手を振っていた。おはようという挨拶は気持ちが前を向く挨拶だなぁと思う。

 

 



おはよう、赤城山。今年もよろしく。

 

また初日の出を見に行こうと話した。「いつ?次のお休みの日?」と言われた。初日の出まで待てそうにないので、いつもの朝焼けを見にいくことしようと思う。今度は日の出に遅刻しないように早寝をしよう。万全の状態で日の出を待ち構える。そして遅れて出てきた太陽に「僕も今来たところだよ」と言ってあげようと思う。