朝焼け3.7

目の届く範囲の、日記みたいな写真を撮っています。

記憶よりも遠く、思い出よりも近く

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義実家に泊まった日の翌朝は、裏手の高台に登って写真を撮るのが習慣になってきました。子どもたちを起こさないように支度を済ませてそっと部屋を出る。僕が居間に顔を出す頃にはお義父さんが起きていてストーブに薪をくべている。カメラを提げた僕に「精が出るねぇ」と嬉しそうに言葉を掛けて、二人で火に当たった。

 

 

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嬉しいことに、お義父さんは僕の影響で写真を撮り始めた。Nikonの一眼を買って出かける時はいつも持ち歩いている。「楽しそうに撮ってるから俺も買っちゃった」と言われたときはとても嬉しかった。今までも友人や周りの人がカメラを買う現象が起こっている。中には今は撮っていない人もいる。けれど、写真っていいなという発見はその人の中には残っていると思う。

 

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薪ストーブで頬が火照ってくると二人で庭に出た。体感気温当てゲーム、これも定番になっている。「マイナス7、8℃。いや7だな」ほんとかよって思う。けれど、温度計はいつもお義父さんの言った気温を指している。僕なんて全然あたらない。当たったとしても体感でも何でもない当てずっぽうだ。

 

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1時間くらいで戻りますんで、と告げて高台へ向かう。ごゆっくりと手を振りながらお義父さんも自分の時間に戻る。以前、撮ることに夢中になって連絡をするのを忘れて心配をかけたことがある。自分では30分くらいのつもりだったけれど1時間半はカメラを持ってはしゃいでいた。待ってる方は熊にでもあったか、滑落したかドキドキしていたらしい。

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夜が明けてもこの場所にはまだ朝日が届いていない。足元には天然の冷凍コーン。たぶん牛の飼料用のものだと思う。この辺りで採れるトウモロコシはとてつもなく甘くて毎年楽しみにしている。飼料用のトウモロコシも甘いんだろうか。

 

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所変われば風も変わるようで、自宅周辺に吹きすさぶ からっ風と比べたら穏やかだ。山あい特有の湿り気と冷気を帯びた風が吹く。

 

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寒さに耐えかねて日の当たる場所を探して山の陰から移動する。「日の当たる場所を探して」なんて歌詞で見かける言い回したけど、山に居るとそこを探したくなる気持ちはわかる、ほんとに寒い。

 

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当たり前のことだけど、光で撮るものだということを再認識できる。光の有無で全く違う写真になる。

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個人的に山中の鉄塔を見ると、この辺りを開拓した人とかここで暮らす人たちの生活とかを勝手に想像してひとり心があたたまっている。
今は昔、仁徳天皇はかまどから立ち昇る煙から民衆の暮らしぶりを見たそうだけど、令和では何が僕たちの暮らしを投影しているんだろう。そう考えたときパッと頭に浮かぶのは電気かなぁ。鉄塔(送電線)を見ると人が住んでる場所を想像して、家の灯りを見ると人の生活に思い馳せる。

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こうやってキーボードを叩いたり、RAW現像できるのも電気があるから。電気主体の生活だから薪ストーブや農業など気になるのかも。なんとなく僕がフィルムで撮る時の理由も今の生活とは違うアナログ回帰の部分があるからなのかも知れない。プリントやフィルムカメラでの撮影工程、現像から帰ってくるまでの時間。そういうアナログとして感じられる作業に魅力を感じる。たぶんその先に自家現像、自家プリントとかが待っているんだろう。

 

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餅が焼けるよ、と連絡が来たのでいったん家へ戻る。

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手焼きプリントをやる人ってかなりフィルム写真が好きな人だと思うけど、手で餅を焼く人も相当モチが好きなんだと思うしかない。お義父さん、なぜにそんな苦行を。でもなんとなく手焼き餅を美味いと感じる僕がいる。まだ調理に影響があるなら分かるけど箸か素手かの違い。これは気分に因るところがデカすぎる。

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孫も早速マネをして積み木で餅屋を開業した。みんなで餅を食べて一息ついたら妻と息子も山を見に行くと言い出した。「お父さん、山の紹介してよ」と娘に言われれば断る理由もなく、よし行こうと嬉しそうな顔をしていた。

 

 

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山の名前、全部わかったら恰好いいんだけど、半人前のわたしです。解説するお義父さんが楽しそうでよかったなぁ。こうやって家族で眺めにくるのは初めてだったので僕も楽しかった。

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この場所で、家族そろって撮れる写真て案外少ないかも知れない。家族が相手でも撮る人間が「写真撮ろう」と声を掛けなければ写真にならないことって結構あると思う。特に両親だったり、子どもが大人になってからの写真て意識しないと残らない。趣味で撮ってるからこそ、経験則で撮ることをしない日常もきっと出くわす。だからやっぱり撮らないと始まらない。

今はただの毎日を撮った記録に過ぎないことも後で見返した時に写真として残しておいたことに涙することがきっとある。記憶より遠く、思い出より近い。そういう今を写真が残してくれると願って今年も撮り続けよう。