朝焼け3.7

目の届く範囲の、日記みたいな写真を撮っています。

片付けの素養


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近くの道を赤城山へツーリングへ向かうバイクや自転車が登って行く。この光景を見るといつもの日曜日が帰ってきた気がする。

 

ライダーたちを見ているとどこかへ出掛けたくなる気もするけど、今日はゆっくりと家で過ごしたい気持ちが上回った。

だけど、そこはやっぱり日曜日だから平日とは違う休日らしさも感じたいのでデッキにテントを広げて外でお昼を食べることにした。


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外で食べるってだけでゴハンが美味い。チェアリングとか外コーヒーとかたまに見かけるけど、気持ちはよく分かる。ホントに美味く感じるんだもんな。もうちょっと涼しくなって蚊が消えたらこのデッキで一杯淹れよう。

キャンプも憧れるんだけど、僕は整理整頓ができないので準備と後片付けの苦労が楽しさを上回ってしまいそうで怖い。だからキャンプを楽しんでいる人を見ると憧れと尊敬が当時に胸に押し寄せる。そういうのを楽しんでいる人たちには『片付けの素養』があると思う。


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片付けの素養はモノの片付けに限った話しではなくて、考え方やデザイン、コミュニケーションとかにも関係すると思う。この素養があるとモノ・コト関係なく一定の秩序が保たれていると思う。ほんの一例だけれど、片付けの素養がある人は、いい写真を撮っている(個人の感想)。SNSやブログで拝見する自宅で撮られた何の気なしの写真に生活感はあるものの、居心地の良さを感じる。

生活感と言うより、暮らしの息づかいとでも言うのでしょうか。僕が部屋で写真を撮ったら息も絶え絶え生活感をフルに描写してしまう。

例え、モノがあっても一定の秩序がある。そんな風に僕も秩序を保ちたい。僕もその人たちに近付きたくて、お片付けをはじめてみた。思考とかデザイン上のお片付けをする前に、一般的なお片付けに挑んでいる。まずは本来あるべき場所とは違う場所にモノがあったら、然るべき場所に戻すということをやっている。皆さんが普通にやっていることを僕は意識を高めてやっている。5歳の息子といい勝負だ。この活動をはじめて3ヶ月くらいが経つけれど、僕の中で確実に変化があった。フローリングにシャモジが放置されていたら、それは異常事態だと分かるようになった。子どもがいるからしゃーなし、という思考じゃ秩序は保てないんだ。


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