朝焼け3.7

目の届く範囲の、日記みたいな写真を撮っています。

視線の将来。

立ち昇る湯気のもと、よく煮込まれて くた~っとした白菜。連休中、子どもたちを公園へ連れ出した僕は白菜と同じようにくたぁ~っと溶けそうだ。
くたくたの白菜がうま味を増しているとしたら、僕は何か増しただろうか。

家族そろって公園に行くのも、ほんの限られた期間だということを、最近感じはじめている。遊んでいる最中は『カラダ持ってくれよ‼』と必死で、センチメンタルな親心を感じる余裕はない。すごく疲れるけど楽しさ3倍。最高。汗と土汚れと子どもたちの笑顔がその日の成果だ。

 

帰りの車で子どもたちの寝顔を見ている懐かしい気持ちになる。遊び帰りの車内の記憶が曖昧ながらも確かに楽しいものとして僕の中に残っている。子どもの頃、帰りの車で疲れてよく眠ってしまった。目が覚めると居間だったり、布団の上だったり。帰りの車に乗るとタイムスリップしたかのような感覚になっていた。チャイルドシートは子どもたちにとってタイムマシーンと言っても大袈裟ではないかも知れない。

 

タイムマシーンに揺られて寝息を立てている子どもたち。二人の寝顔を見る僕の視線に、子ども頃の僕に向けられていた両親の眼差しが重なる。こういう気持ちで見守られていたんだ、ということが何の遠慮もなくわかってしまう。恥ずかしいやら嬉しいやら。湯気が出るほどではないけれど、人肌くらいの温かさを感じながら、タイムマシーンからベッドへと寝かしつける。