文化の日、前日。今日は半休を取った。幼稚園の迎えに間に合えばいいから、何も半休でなくても良かったけれど、ちょっとゆっくりしたかったもので豪勢に半休です。
昼食後の空き時間をネギの土寄せにあてる。ずっとやらなきゃと思っていて、ネギを見るたび心が傷んだ。例えるなら掛け布団をはいでしまった子どもに布団を掛けずにいる状態と同じかもしれない。でもこれでひと安心。あったかい布団で寝てくれ。ひと作業終えると、実家の庭で母が手招きしているのが見えたのでそちらの方へ。
実家の物置からレゴブロックが出てきた。どれも見覚えのあるものばかりだった。30年ぶりくらいのご対面となった。ずいぶんきれいに残っている。母もよくとっておいてくれたなぁ。
何個か手に取ってみる。すると忘れていた記憶が蘇ってきた。ドラゴンには炎を模したパーツがあること、騎士のキャラクターの鎧は階級ごとにデザインが違うこと…弟と遊んでいた時の映像が頭の中で流れはじめた。
今の今まで忘れていた思い出というのは、よく考えると不思議だ。忘れてるっていうけど、でも憶えていたわけでしょ?完全に忘れていたら「そういえば、そんなことあったなぁ」というあの感覚は成立しない。でも、確かにそういう忘れたはずの思い出というのはいくつも持っている…はずだ。断言できない、だってどの思い出を忘れてるのか今は分からないから。それに思い出すキッカケが何なのか分からない。
今僕がなんとなく眺めている光景の中にも、思い出のキッカケとなるものがいくつか存在しているのかも知れない。でも、何も思い出せないってことはキッカケとしての役目を終えたのか、そもそもキッカケを担っていないだけなんだろう。
そう考えると、何かを思い出す事ができる記憶というのは、僕が忘れたくなかった出来事なのかも知れない。記憶媒体でいうフォーマットまではかけてないって状態なのかな。
何がキッカケになるのか分からないけれど、楽しく過ごしていればそれだけたくさんの思い出に支えられて生きていくことができるのかもしれない。