白く変わる息にわくわくしながら支度を整えた。寒くないわけない、とにかく寒い。でもこの環境だからこそ撮れるものや、そういう場所に自分を放り出したいと思う時もある。
裏山を昇ると、朝焼けの色に空が変わり始めるタイミングだった。雲海と呼ぶには少し控えめだけど、いい雰囲気といい光。気温も寒くて言う事なし。
足元から枯木が割れる音や霜柱の感触が伝わる。わざと音が響くように踵からゆっくり地面に足を降ろしてつま先に力を入れた。「いつもと違うことをしている」ということを自分に言い聞かせてる所もあるけれど、そうやって自分でテンションをあげたり、機嫌をとることも僕の中では結構大切なことだと思う。
昼間に見つければ、服につかないようにと避けがちのクッツキムシも、朝焼けの中にあっては無視できない。
ひらけた野原に出て明けの空を眺める。月と一緒に写りこんだのはトンビかカラスか。神話の時代では戦を勝利に導いたり、道案内をしたり見せ場が多いけれど、令和の時代じゃすっかり日常に溶け込んでいる。世を忍ぶ仮の姿か。
前回、秋に訪れた時はクマの出没ニュースが日本中で話題になっていたので、ボーっと空を眺める余裕はなかった。余裕がなきゃな。撮り歩くときはカメラと一緒に余裕も持って行かないと。
浅間山と浅間隠し。山に朝日のスポットライト。
陰の部分はまだ冷たい空気が溜まっているような感じがする。実際に日陰にいると耳や鼻先が風の冷たさで痛い。体も芯から冷える。太陽の熱の存在を思い知る。
リンゴ園だった場所。ここのリンゴが美味して大好きだったな。
新世界。昭和と平成のはざまに群馬で生まれた品種。僕とほぼ同世代だ。どんな思いを込めて名づけられたんだろう。
この葉をデザインに落とし込んだファブリックや壁紙とか北欧にありそう。この植物が北欧にあるのかは別として。
今年もこの場所で春を待つ。
ただいま、と玄関をあけると鮭が焼かれていた。うちの実家から妻の実家に贈られたお歳暮だ。鮭は決まった時期に決まったルートで生まれた川に戻る。そういう意味では鮭に限らず、実家から義実家へ贈られたものは僕の腹の中へと帰ってくる。
おかえり、朝飯にしよう。零下の朝にあって、この場所は温かい。